[石川県 能登町]
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能登杜氏
 能登杜氏の誕生は「石川県珠洲郡誌」によると、江戸初期にはすでに酒造りをする技能集団として成立していたようです。
 明治34年、石川県で初めて「酒造講習会」が開催され「能登流酒造り」のきっかけとなり、酒造技術が飛躍的に向上していきました。
 毎年行われている全国清酒品評会でもその優秀さを何度も立証し、全国的に能登杜氏の名声を高めていきました。ちなみに昭和2年には402名の杜氏と1644名の酒男が各地へ酒造りに出かけた資料が残されており、おそらくこの年代が能登杜氏の最盛期といえるでしょう。(平成22年12月現在、杜氏71名、蔵人247名)
 大吟醸酒造りの名手を多く輩出し、吟醸酒造りは「能登流が一番」といわれるようになった背景には、たゆまぬ努力はもちろん、「能登はやさしや土までも」といわれているように、純粋でねばり強い能登の人情が酒にも表れているからでしょうか。
 全国には30近い杜氏集団が存在しますが、その中でも岩手県の南部杜氏、新潟県の越後杜氏、兵庫県の但馬杜氏、そして石川県の能登杜氏が日本四大杜氏と言われています。
 それぞれに酒造りの流儀があり、同じ杜氏集団内で切磋琢磨と情報交換を行いながら技能を受け継いできました。それが杜氏集団ごとの酒の個性となってあらわれており、一口に言うと南部は「香り高い酒」、越後は「淡麗辛口」、但馬は「骨太」、そして能登は「濃厚で華やか」と評されています。
 能登杜氏は各方面から様々な形で栄誉を受けていますが、古くは20数年前にスイスのチューリッヒで開かれた国際産業映画・ビデオ祭に能登杜氏の伝統技を描いた「櫂(かい)の詩」が日本代表作品として発表され、酒造りのみならず格調高い日本文化の一端を紹介したものとして関係者から高い評価を受けた。というエピソードもあります。


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