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社長日誌 > 船中八策の巻頭言集 > 第23号テーマ:雑感二題 | |
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第23号テーマ:雑感二題
「コツコツコツコツコツコツの努力」 小泉内閣の構造改革で、この厳しい経営環境が更に厳しいものになるのは確実である。TVの政治番組等を見ていると大手ゼネコンの倒産はもとより、中小企業の倒産が相当予想されると言われており、その深刻さはかつて経験したことがないものと思われます。今まさに、そのような状況に突入したとさえ言われております。 私は小泉内閣の構造改革には賛成であるし、是非勇断をもって実行してもらいたい。野党や自民党の一部が言う緩やかな改革や、問題の先送りでは結局いつまで立ってもこの国は再生しないのです。これは経済だけでなく教育でも然りです。小泉内閣は、今までの内閣が先送りしてきたことやタブーとされてきた事にメスを入れ、手術をし後始末をするだけの事なのです。構造改革には大いに賛成であるが、厳しい経営環境が更に厳しくなる事は、本当に心して性根を入れて経営をやらねばと気合を入れているところです。 中国の古典に「愚行山を移す」と言う話があります。大行山と王屋山はそれぞれ四方が七百里、高さ一万キロもあって、北南の北にあった。(北山の愚行という人は、年齢90歳であるが、)これらの山に四方を囲まれ日当たりが悪いので、この高い山を削って平地にしたという話です。愚行は90歳という年齢で、大行山と天屋山という目の前にある大きな障壁の撤去に取り組んだのです。到底自分が生きている間には完了しないのですが、自分の子供、孫が自分の意志を引き継いでやれば、必ずできると確信し、近所の人々に馬鹿にされながらもやり続けたのです。この故事は、愚行の話を通して、何事も明確な目標と粘り強くやり続ける実行力があればどんな目標も達成できる。どんな困難な事も、強い意志と実行する力があれば可能になることを教えています。 経営はもともと苦しいこと、困難なことは付きのもです。というより困難、苦難の連続です。必ず成長する方程式もなければ、経営が永遠に続く理論もないのです。経営はいつも不確実なものとの戦いなのです。先々の業績の見通しが立たない時も、経営者は何時も苦難や不安と戦うのです。また、業績がよければ、これがいつまで続くのかと、これまたこれと戦います。これを背負うのが経営者なのかもしれません。一方この苦難や困難、不安に粘り強く挑戦しながら、それを生き甲斐としてできるのも、また経営者です。苦難や困難は誰でも嫌ですが、これが嫌では経営者は務まらないのです。経営はロマンであるとか、経営はドラマであると言いますが、これも苦難や困難があるからロマンでありドラマであり価値があるのです。経営が誰でも簡単にできるなら、ロマンにもドラマにもならないのです。そして多くの経営者は苦難や困難な事をやり遂げることに、喜びや生き甲斐を感じるから経営者をやっているのではないでしょうか。 小泉内閣の構造改革で、中小零細企業は更なる厳しい状況に置かれます。それは多くの企業が倒産の危機にさらされる事を意味しています。私はこんな時こそ、「愚行山を移す」というこの話をかみ締めてみる価値があると思うのです。もともと経営はどんな環境であろうが、しっかりと生き続けなければならないし、経営の良し悪しを経済環境や周りのせいにできないのです。 経営は経営者の使命感と、経営手腕でどんな状況下にあっても生きられるのである、と私は確信しています。今経営者に必要なことは、しっかとした経営見通しに裏づけられた経営計画を立て、それを一日一日、一ヶ月一ヶ月確実に実行することではないかと思います。愚行が四方七百里、高さ一万キロの山を、コツコツコツコツコツコツと削り、ある時この努力に天が味方し、一夜にして平地になったのです。このコツコツコツコツコツコツの努力は、いつの時代でも物事を確実に成功に導いてくれるし、必ず目的、目標に辿り着かせてくれるのです。経営は今を乗り切れば良いのではない、次の代も、次の次の代も続いていなければなりません。愚行が、自分の生きているうちにはできなくとも子供、孫が必ずやってくれると信じ、90歳から途方もない事業に取り組んだが、愚行の山を移すという明確な目標と強い意志と実行力がこれを可能にしたのです。これからの時代の経営に大切なことは、 1)目標を明確にし、確実に実行すること。経営計画は、立てることが大事なのではなく、実行すること、達成することが大事なのだということを深く認識すること。 2)他人はどうであれ自分の会社は生き残ること 3)経営者は経営という一点に集中し、全力を尽くすこと。 4)創業当時の事業にかけた情熱を思い起こし、もう一度大火のように燃え、挑戦すること。 そして、コツコツコツコツコツコツコツコツと実行することにかぎる。だって、どんなに苦しくても誰も助けてくれないし、ましてや中小企業には政治も行政も銀行だって手を貸してくれないのです。自分で生きるしかないのである。 「日本人として」 新しい歴史教科書の採択をめっぐって、日本中の教育委員会や教育の現場が混乱している。 平成14年度から使われる教科書の採択をめっぐって、扶桑社の「新しい歴史教科書が」を一旦採択した栃木県下都賀地区の採択協議会が、組織的な妨害活動や暴力的抗議活動で教育委員会は承認せず、再審とし結果的に不採択とした。組織的な妨害や抗議は、県内外の教職員組合や左翼的な保護者、在日韓国民団等によるといわれている。 大量の郵便物や電話、FAXやメールでの抗議である。これは正に暴力である。以前、文部科学省で、教科書検定委員会で教科書検定が行われているとき、この教科書の検定に反対し、韓国から100万件のメールが文部科学省、扶桑社に一斉抗議メールが送られ、サーバーがパンクしたことがあった。サイバーテロである。インターネットと言う現代文明を使った国際テロである。日本国民はあまり関心がなかったようであるが、相手は国家を挙げて攻撃して来ていることに、危機感をもち、我々も抗議すべきである。(相手が戦闘的であってもこちらは紳士的に) 教育はもともと教育の理想に基づき、公正に行われるべきである。妨害や抗議によって左右されるべきものではないし、ましてや一旦決めたものが履がえされるなどとんでもないことである。もしそうであるとするなら、教育の理想も社会的公正も秩序も民主主義すらないのと等しい。教育委員会や採択委員会(協議会)はこのような事に屈するならば、その権威もなければ社会的役目を果していないのである。 ちょうど暴走族の傍若無人を野放しにしている今の日本社会を投影しているようである。日本は法治国家であり民主国家である。国家は法律や国の定める制度で社会秩序が保たれ、我々は安心、安全を享受している。 公正で民主的な制度で採択されるべき教科書が、暴力的な妨害や抗議の前に屈し不採択になるなど、日本人として情けない。 日本人の誇りなどほど遠い。 |
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