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社長日誌 > 船中八策の巻頭言集 > 第34号テーマ:潮目、「三種の神器」の終焉。 | |
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第34号テーマ:潮目、「三種の神器」の終焉。
潮目 昭和61年に買った経営書を読んでいたら、嘗て日本の経営には「三種の神器」と言われたものがあった。戦後のアジアの奇跡と言われた日本の高度経済成長は世界の驚異でありアジアに日本ありを世界に示した。敗戦で何もかもなくした日本が廃墟から立ち上がり世界にまれに見る経済成長をしたのである。この日本の驚異的経済成長を支えたのが「三種の神器」なるものであった。それは「終身雇用」と「年功賃金」「企業別労働組合」であった。 今日はこのどれもが姿を消したし最近若者たちにこのことを知らないものも多くなった。「終身雇用」は、リストラやワークシェアリングによる人員削減や、非正社員やフリーターなど雇用の流動化で崩壊したし、「年功序列賃金」は年俸制や成果給になり、「労働組合」は組合の組織率が低下の一途をたどり19%となった。特に、バブル崩壊後最悪の経済状態といわれた1995年以降「三種の神器」は大きく変貌したと言われる。 「三種の神器」の一番目の終身雇用は、戦後日本の高度経済成長を支えた日本特有の雇用制度であった。経営者は社員を一旦雇用すれば会社の都合で解雇したりしなかったし、業績が悪くても一時帰休はしなかった。社員は悪いことをしなければ自主的に退職をしない限りは一生定年まで働ける。終身雇用は経営者と社員にとって都合が良い暗黙の労働契約であった。社員にとって一度会社に入社すると一生安心してその会社で働けた。安心して働けるということは生活が保障されることであり生活が保障されることは、会社のために一所懸命働けるということであった。今はすっかり影を潜めたが「愛社精神」とか「モーレツ社員」「うちの会社」等の言 葉があったが今は過去の言葉となった。 まさにこの様な言葉は終身雇用下での社員と経営者の信頼の絆を浮オていた。ある論文によると日本の終身雇用は1995年を境に崩壊したといわれている。ちょうどバブル後の日本経済が最悪を迎えたときである。そして2000年頃から2005年にかけて大企業や銀行の倒産合併が起りこの頃からリストラの嵐が吹き荒れたのである。 あの松下電器も2005年に創業以来のリストラを行っている。大企業のリストラの影で台頭したのが雇用調整幅を拡大する為の非正規社員の拡大と正規社員幅の縮小であった。フリーターとかニート等という言葉がもてはやされ始めたのもこの時期からである。 こうして日本の雇用制度は終身雇用制から働く人個人個人が「自己責任」で自らの「働く」場を見つけなければならない時代となったのである。今日大企業で働く労働人口の40%近くが非正規社員であると雇用統計が出ているが、非正規社員の多いところには「愛社精神」なるものが希薄になるのは当然である。 今アメリカ企業や中国企業はかつての日本的経営を導入している企業が多いと聞く。日本がアメリカ的経営に転換してバブル後の不況を乗り切ったが、そのアメリカ企業が嘗ての日本的経営を導入して次の成長をしようとしている。 三種の神器の二番目は「年功序列賃金」である。年功序列賃金は迫ヘ(スキル)や仕事内容とは関係なく、勤務年数や年齢によって決まる賃金形態であった。日本式経営は終身雇用にしてもこの年功序列賃金にしても社会制度としてではなく一つの形として日本社会に根付かせ、経営者と社員が企業文化として共有してきた。 戦後の日本企業の歴史的、文化的発展の根底に終身雇用や年功序列賃金があったことは言うまでもないことである。 勤務年限が長いということは会社にとって安定した労働力になるし、生産性と直接関係はないが企業内秩序を経営者に代わってリーダシップを発揮してくれたのは勤務年数が長い人達であった。その統率力は暗黙のうちに企業内で発揮されたのであった。 「あの人が言うのだから」とか「あの人に頼まれたら」など「長幼の序」のような暗黙の指示系統があった。だから日本の中小企業では役員や管理者は迫ヘよりも勤務年数で決まることが多かった。 また年齢が高くなるということは何かと家庭での出費が多くなる。子供の成長で教育費はもとより生活費がかさむのは誰でも同じである。子供の高校進学や大学進学によって多額の負担が家庭にのしかかる。この時期を迎えた中高年の人達は負担も多く年齢や勤務年数に応じた「年功序列賃金」は、中高年者にとって安心して働けた制度なのである。しかしこの「年功序列賃金」も2000年を境に大手企業では年功序列賃金から成果主義の賃金体系に切り替わっていく会社が多くなった。それに伴って中小企業でも成果主義や年俸制を導入する企業が増えた。 従来の年功序列賃金や職箔I賃金から個人が達成した成果(パフォーマンス)に応じて賃金を支払う成果主義賃金制へとシフトしていくのである。もっとも端的なのが営業社員の売り上げや利益の達成に対して支払らわれる成果給がこの制度の形であるが、最近は間接部門といわれる総務や管理部門も部門成果で評価されるようになってきた。昔あった目標管理の一つの形態が成果主義といえる。確かに「成果」の定義が曖昧なことと、その評価のやり方が偏るなど成果主義に対する批判も結高?るが、成果主義賃金制も導入の仕方次第では大きな効果を出すといわれる。 成果測定の計算根拠や仕組みを明確にし、公正に行い社員に公開することや、成果の評価期間を長期的なものと短期的なものを組み合わせ定量化する事や、総務、開発、企画、研究部門やプロジェクトの評価も有効な指標を示し評価すると成果が出ると言われるのである。これから年功序列賃金は姿を消し成果主義、実績主義、結果主義なる賃金形態が日本企業の賃金形態になっていくと思われる。 個人主義による家族の絆や社会の連帯感の希薄化が日本社会の未来に影を落としているが、成果主義や実績主義、結果主義賃金がさらに個人主義を助長しなければ良いと思うのだが。 三種の神器の三番目は「企業別労働組合」である。日本の労働組合と欧米の労働組合との違いは、欧米に見られる産業別労働組合や職舶ハ組合など横の連携で結ばれた組合が多いのに対して、日本の労働組合は企業単位、事業所単位の企業別の労働組合が多いのが特徴的である。そのため経営者と組合側とのコミュニケーションが絶えず持てたり、情報やビジョンの共有ができた。経営側と労働組合が対立関係ではなく協調関係にあったことは、企業の発展にとって有効的な面も多かったといえる。 確かに大手企業や一部中小企業での昭和30年代40年代50年代の激しい労働争議は社会問題でもあったことは事実である。国鉄時代の国労などはその代賦iであったし、経営者が恐れる「総評」もこの時代である。しかし多くの大企業や中小企業は企業内労働運動があったため、欧米の産業別労働組合のような上部組織と一体となって一企業の労使交渉や争議が起きることは全体的には少なかった。 この企業別労働組合がバブル崩壊後の企業の危機の乗り切りに一役買ったのも日本的といえば日本的である。バブル後の経営危機で労使はリストラの協議を重ねて労働組合がリストラに協力すると言う形で企業の再生に取り組んだのである。バブル崩壊は労働組合と経営が対立関係から協調関係でその危機を乗り越えなければならない機会を与えたし、労働組合はその目的が色あせ組織率が大きく低下した。何より労働組合の目的であった労働者の労働環境の改善と経済的(賃金)地位の向上は、経済成長のおかげで多くの働く人の生活が豊かになったし、労働環境も戦後のような劣悪、過酷、不平感から大きく改善され近代的快適環境になった。 また高い組合費も結国g合員にとっては無駄な出費と思うようになった事で労働組合のその役目も終焉を迎えたのである。そして労働組合を支持基盤とした社会民主党(当時は社会党)も一連托生の運命を迎えたのであった。1980年の労働組合数は72,693組合であったが2004年には60,802組合となった。雇用労働者に対する組合加入者数の組織率も1980年の30.8%から2004年19.0%となり減少の一途をたどっているのである。 日本の戦後復活と経済成長を支えて今日の経済大国日本を作り上げた「三種の神器」も、時代の役割を終えた。 日本社会は大きな潮目を乗り切り新しい時代に入ったのである。 |
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