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社長日誌 > 船中八策の巻頭言集 > 第24号テーマ:今日の時代を生き残る先人のヒント | |
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第24号テーマ:今日の時代を生き残る先人のヒント
不味因果「禅」のことば 松下幸之助氏の商売語録に、事業の成否についてこのような事が書いてありました。 「商売と言うものは、損をしたり、儲かったりしながら成功することはありえない。やればやるだけ成功するものでなければならない。上手くいかないのは運が悪いからでもなんでもない。経営の進め方が当を得ていないのである」 ようするに、事業が上手くいくか否かは経営のやり方が、時代なり環境なりに合っているかいないかであり、それを見極めるのが経営者の仕事である。 同じ業種でも、上手くいく会社といかない会社の違いはその差であり、経営者の手腕の違いとなってあられる。 現況の経営環境は厳しいが、自社の経営の進め方をもう一度掘り下げて洗い直し問題点を明らかにすれば道は開けるのではないでしょうか。 経営の上手くいかない原因を、経済環境や社員の迫ヘに求めるか、経営者としての自分に求めるかによって、経営の成否が決まるのではないでしょうか。私も深く反省するところです。 平成5年7月 「遇」と「不遇」は時なり 遇不遇者時也 孔子が弟子たちと諸国を旅していた時、ある国で政争に巻き込まれ前に進む事も後に戻る事も出来なくなった。その上食うものも無く空き腹にはなり立ち往生した。この時、弟子の子路が孔子に尋ねた。 「君子でも何にもできずこんな惨めな思いをするのですか」。孔子は「遇不遇者時也」の言葉をもって弟子を諭したと云われる。 「遇」とは、何をやっても上手く進む時がある。自分の力の無い時でも運があるとでも云うのでしょうか、自分でも信じがたいほどトントン拍子の時がある。これを「遇」という。 「不遇」とは、また反対に何をやっても上手く行かない時がある。どんなに体汗して動いても、どんなに意強くして頑張っても上手く行かない時は上手くいかない。これを「不遇」と云う。 「太陽、月は昇って下がり、下がってまた昇る。」これは自然の一定の動きである。人生の「遇」と「不遇」は、太陽、月の昇り下がりと同じように、これまた自然のリズムのようなものである。 「遇」の時は踊らず、「不遇」の時は焦らぬ事だ。人間は不遇な時の過ごし方で真価が決まる。 孔子は、「身を修め行い瑞くして以てその時をまて」と云われ、不遇の時は次の「遇」を待つ準備期間であるから、自らの心身を鍛え行いをただし、時が来るのを待つ事が肝心であるとも教えております。 今日の経済環境は、私たちに与えられた「自分を鍛える」時と受けとめ、次の時の準備をしておくべきである。 平成6年1月 大阪商人に学ぶ「商に三法あり」 江戸時代の大阪商人は、ものごとを行うにあたっては、堅実的で合理的に行うことを身に付けていたと云われます。それが今日まで大阪商人の心の中に伝統的に受け継がれてまいりました。 その受け継がれた伝統のなかに「商いに三法あり」という言葉があります。 「商に三法あり」は、江戸時代の大阪商人に商人として求められる素養を述べているのであります。 その一法は、始末する事。よく「始末屋」とか「始末できぬ者」「後始末をする」など云われますが、この始末をするという言葉は、そもそもものごとの始めと終わりの辻褄をあわせると云う意味を持っております。 大阪商人はこの「始末」を収入と支出の計算が合う事、またムダを省き効率の良い商いする事ととらえていたと云われます。 「終わり良ければ全て良し」、経営における「始末する」は、経営計画と一年の決算の辻褄が合うことと云えます。 その二法は、算用する事。何事もャ鴻oン勘定せよと云う事です。商人は儲けるために働くのであり損をしてはならない。勘定のできない者は商売をしてはならないとも言い切る大阪商人。 一回一回の取引で確実に利益を得られる。一件一件のお客様から僅かでも設けさせて頂く事が長く商売が続けられる事であると言っています。この意味からも算用とは、短期的な見方ばかりでなく、長い目で勘定できることが大切であると教えている。 その三法は、商才、才覚のと云うことです。商売には機がある。その機を見る機敏な目、敏感に感じる感覚、それを取り込む行動力を商才、才覚と云われます。 機のある時に商売をせよ、商才があるかないかが厳しい商いの中で大阪商人の生死を決めてきた。そのため、丁稚から叩きあげられる中で、商機を見る目、感覚を身体をもって覚えていった。日頃から勤行をモットーとして心を戒めたのも、「商いに三法あり」と云う江戸時代の大阪商人この言葉に浮黷トいる。我々もこの言葉に学びたいものである。 平成5年11月 前車の覆るは後車の戒め前車覆後車戒「漢詩」 「漢代の賈諠が文帝に献策した文章の中の言葉である。賈諠は秦の始皇帝の滅亡をこの言葉を引用して文帝に述べたと云われている。 賈諠は、漢代の前の秦を「前車」に例えて、秦が僅か二代で滅亡したのは秦の始皇帝による強権、悪政の無理が祟ったからであり、よって前者のひっくり返ったのを教訓にし政治にあたれば、民衆は安心し政治は安定すると垂オた。文帝は秦の失敗に学び、民衆の声を聞き自ら倹約を旨とした政治にあたり、治績をあげ名君と称された。」 前車のひっくり返るを見たらその二の舞えを踏むなという歴史の教訓であります。 私たちは、他人の失敗に自分はそんなドジはしないとか、こうすれば良かったと批評評論はできますが、それを自らの教訓や戒めにすることは以外にされていないものである。 失敗には失敗した人たちに共通するものがある。その原因をよくみて自らその原因に陥らないようにすることが大切である。 「殷艦遠からず夏后の世に在り」という言葉もあります。(詩径) 歴史は失敗の物語である。同じ失敗をしないためにも先人の失敗に学ばなければならないと云う。 成功の事例に学ぶことも大事であるが、先人の失敗体験に学ぶ事がより有益である。 昨今の経済環境の中で企業倒産の話はよく聞きます。他人の倒産を他人事せず自社の事業の教訓にしたいものである。 わずかな得意なりとも粗略にすべからず分限玉の礎 最近の経営セミナーで下請企業体質からの脱却、自社独自の顧客の開拓などの話しを聞きました。 バブル期には、薄利でも大手企業を相手に売り込めとか、成長企業の下請けをすると自社も一緒に成長できるという話が多かったように記憶しております。 また、取引先を選別し手間のかかる小口取引を切ったほうが良いという話が多くなったように思います。 大手企業との取引、成長企業の下請けとての取引を積極的におこない、その成長のおかげで一緒に成長した会社は確かにありました。 バブル期には湯水のごとく仕事が回ってきて、残業しても追い付かない会社もありました。それにあわせて設備を増強し人員の増員をはかりまさに飛ぶ鳥の勢いの会社も、バブル崩壊か経済循環のためかわかりませんが、今日の景気低迷で、大手企業、またかつての成長企業の会社からの仕事は減り、今は余剰の設備と人員を抱え、経営の危機にすら直面している会社がありますこれは大口得意先、大口取引に片寄った結果であると思います。 江戸商人は「商人は第一に小分の商いを大切にいたし候儀、肝要を存ぜられ候、わずかな商いにて、家内大勢相続の助力に候」『独慎俗語』江戸商人は、得意先は一社に片寄る事無くすることが家内安泰と言われ、当時の商人の戒めとしていました。 確かに小口取引先は一件一件商い額も利益も小さく手間がかかります。然し、一件の取引先を止めても経営には何の影響もない。数件の取引が中止になっても経営が危機的になることはないのです。大口取引先は一件が中止になれば場合によっては経営の危機にすらなるのです。 大口取引先が良い取引先であり、これが会社に安定をもたらすと考えるのは経営者の習性でしょうか。 「わずかな得意なりとも、顔くせあしく、粗略に致すべからず。得意放れ、主人の誤りとなり不繁盛の根となる。深く謹むべきこと」と、小口得意先意の大切さを教えてくれております。 小口取引先を多く持つ事が、家内(事業)安泰の鉄則であると自戒した江戸商人知恵を教訓にしたいものであります。 平成7年7月 故きを温ねて新を知る温故知新< 今日こそ、歴史や先賢の生き方から学ぶのが良いのではないでしょうか。歴史や先賢の生き方は、幾多の困難や危機を乗り越えて来た生き残る為の普遍的な原理であり真髄であります。また処世のし方であり、知恵であります。それは人生(事業)の困難や危機に直面した時、どんな姿勢で臨んだらよいかを故事や諺、歴史訓として現代に伝えられております。 我々は、困難や危機に直面するとそれにどう対処したらよいかも分からず、ただ考え込んでしまったり、対応に時間がかかったり、時には対応を間違ったりすることがありますまた狭い了見で身の回りの情報に頼ったり、自分にとってに都合のよい人に相談したりしますが、しかしここで得られる答えの多くは対症療法的方策です。 こんな時本当に必要なのは短絡的方策ではなく、困難や危機に臨む姿勢、志その中にこそ根本的な解決の処方があるのです。故事や諺、歴史訓こそそれを教えてくれるのです。 「故きを温ねて新を知る」 この故事はあまりにも知られた言葉でありますがこれをもう一度噛みしめてみたいものです。 我々を取り巻く経営環境は、戦後一貫して成長してきた日本経済では経験した事のない事態をもたらしております。高水準の企業倒産、地価の下落や売上不振、価格破壊からくる利益率の低下、大企業のリストラによる中小企業への皺寄せ、それによるコストアップ、企業の海外移転等さまざまな事がありますが、どんな厳しい環境の中にあっても、それを乗り越える知恵や方法はあるものです。 それは、先賢や歴史はどんな知恵でどんな姿勢でどんな方法で乗り越えて来たかを学ぶことにあると思います。 平成7年2月 |
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