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第55号テーマ:徳義と智恵の関係性についての論考
■徳義と智恵の関係についての論考 一般に徳義とは、人間一人ひとりが生きるために守らなければならない倫理・道徳観のようなもので心の内に持っているものです。この徳義は私たちが人間として生きるための精神基盤であり常に実践を通して磨かれるものです。徳義は自分の心の内にある働きであって、誰かに押し付けられたり命令されるものではないし、他に働きかけたり影響を意識して行うものでもありません。この徳義を守り実践をすることによって自らの心の修養を行い、日常の行いを律し正して行くものです。よって徳義は世間・他人との関係に左右されることのない心の自由にして独立したものであると思います。智恵は、日常の行いの中で過去の経験や知識の蓄積を基に物事を適切対処していく迫ヘの事をいいます。智恵によって社会は発達・発展するものですし、今日の社会の発達は私たちに諸々の便利性や生活の豊かさをもたらしてくれております。これは正に人間の知恵の働きによるものです。徳義と智恵の関係は、経済社会においては「徳義によって経営者の人間力を磨き高め、それによって企業の社会的使命は正しい方向に導かれ、発展させるものである」と思いますし、市民社会においては、市民一人ひとりの徳義は、社会生活を営む上で必要な心のあり方を整え、人間の智恵によって発達・発展する社会国「の大もとの基盤を確固たるものにするのだと考えます。
■徳義と智恵に関する現代社会に対する私の意見 現代の日本は戦後急速な経済発展を遂げてきました。高速道路網や新幹線、上下水道や通信網・IT環境など社会インフラは世界でも有数の普及国になりましたし、国民の生活水準や教育水準も先進国のTOPクラスにおります。1952年のサンフランシスコ講和条約以降、日本の戦後復興は本格化し、悲惨な戦後から豊かさを求め国民は汗を流して働き立ち上がっていきました。そして1960年以降は池田内閣による所得倍増政策や1972年の田中内閣の日本列島改造論に象徴されるように、日本は大きな発展を遂げ今日の経済大国を築きました。その結果、日本国民は経済的豊かさのみが関心事・目標となりました。その結果、江戸・明治時代の先賢達が学び伝えてきた活学(心を照らして行くような学問)(参考図書・安岡正篤)や、漢学(儒教等)などによって培かってきた高い日本人の精神性や文化性は失われてきました。3,11の東日本大震災のときの被災者の秩序ある行動などは日本人の国民性でありますが、その根底には日本人の高い精神性があったのです。いまそれが日本から失われつつあります。戦後教育は勉強のできること、偏差値が高いことのみが優秀であるとされ、心の豊かさや、他人を思いやる心、真面目さなどは軽んぜられてきました。それは明治の藩校に代浮ウれるような「学問」がなくなったからと、思います。今日勉強という知性、知識は高度になりましたが「学問」をする事によって磨かれる「徳義」が忘れ去られてきたと思います。特に戦後教育の中で徳義を教える事は学校教育の中からもなくなりました。もう日本は経済的豊かになったのですからこれからは心の豊かさや秩序ある社会になっていかなければなりません。その為には、これからの日本人は、緩やかな経済の発展を求めながらも、自らを磨き律する学問をする事をしなければならないと考えます。
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