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第21号テーマ:社長の戒め二題
「流水の清濁はその源にあり」 「流水」が澄んでいるか濁っているかは、源の善し悪しにかかっている。 君子と人民の関係を河にたとえて言えば、君子は源であり人民は流水の様なものである。 臣下は君子の行いを見ながら物事を行うものである。君子が誤った事をしておきながら、臣下にまっとうな事を期待するのは、濁りの源をそのままにして流水の澄むのを待つようなものである。どだい無理なことである。唐の太宗の言葉でありますが、上に立つ者、組織の長たる者を戒めたことばです。 流水の源とは組織のトップのことであり、会社で言えば社長であり上司のことです。 特に中小企業は社長そのものが会社であり、社長の生き方がそのまま社風になります。 其れ故に会社は、社長の方針、行動、言動によって、社員の行いや言動が左右されてくるものです。 社長が公私混同をすると社員も公私を混同しがちであり、社長のお客様に対する姿勢が、社員のお客様に対する態度となり現れます。社員が元気ですと会社全体も元気になるのです。 だから、たまに社員を注意したり叱ったりした時の効き目は、日頃の社長の姿勢によってきまるのです。 日頃の社長の経営に対する情熱や真剣さ、普段からの率先垂範の姿勢は、社員の信頼を得るものであり、会社の活力の源になります。流水である社員が、清流であるか濁流であるかは、それはその源である社長の姿勢によってきまるのです。 ただ、「水清くして魚棲ず」ともいいます。いつも聖人君子の様な社長では社員も疲れます。社長も人間、弱さもあれば欠点もある。堕落するときもあればサボリたい時もある。それはそれで良いと思う。ただ、気が付いたらそのままにせず、すぐに正せばいいし直せばいい。このような姿勢が大事ではないかなと思います。 「流水の清濁はその源にあり」 会社の盛衰は日頃から社長の姿の中にあると言っても過言ではないではないでしょうか。 「前車の覆るは後車の戒め。」 先日読んだ中国古典の中で見つけた言葉をご紹介致します。 漢の時代の賈誼が文帝に献策した文章の中の言葉だそうです。賈誼は秦の始皇帝の滅亡をこの言葉に引用して述べたといわれます。 賈誼は、漢代の前の秦を「前車」に例えて、秦が僅か二代で滅亡したのは秦の始皇帝による強権、悪政の無理が祟ったからであり、よって前車のひっくり返ったのを教訓にし政治にあたれば、民衆は安心し政治は安泰すると申しました。 文帝は秦の失敗に学び、民衆の声を聞き自ら倹約を旨とした政治にあたり、治績をあげ名君になったという話であります。 前車のひっくり返るのを見たらその二の舞を踏むな、と云う歴史の教訓です。 私達は、他人の失敗に自分はそんな失敗はしないとか、こうすれば良かったのにと批判批評はしますが、それを自らの教訓や戒めにすることは以外としないものです。また自分の失敗は認めたがらないし、成功したとは吹聴したいものです。 失敗を失敗として受け止めないし、その原因すら分かろうとしないのです。 世の成功者の話はたくさん聞きますが、失敗者の話は陰口では聞いても公の話題にはなりません。成功者は、その人の素質に天の時、地の利が味方し成功すると云われますが、失敗者には失敗人たちに共通するものがあると云われます。お客様を粗末にしたり、社員を道具のように使ったり、会社の現実に目を向けようとしなかったりといろいろありますが、大方の失敗者の原因は共通するそうです。 「殷鑑遠からず夏后の世にあり」という言葉もあります。歴史は勝者の物語が多いのですが、敗者の物語でもあります。同じ失敗をしないためにも、先人の失敗に学ばなければなりません。 成功の事例に学ぶことも大切ですが、前車の覆る、要するに先人の失敗体験に学ぶ事がより有益であるとおもいます。 万人幸福の栞に学ぶ (及川 秀悟) |
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