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第43号テーマ:困難な時代だからこそ「実践知」と「動態知」
企業を取り巻く経営環境は厳しさを通り越して、経営者の悲鳴さえ聞こえるようです。世界的な金融危機から端を発した世界同時不況は、当初は大企業の輸出企業や製造業、金融機関、不動産会社が大打撃を受け、多くの上場企業が倒産しました。いまその影響は中小企業に怒涛のように襲い掛かってきています。もともと資金力と経営体力に乏しい中小企業の倒産も増加の一途です。100年に一度と言われる不況の嵐の中にいるのであるのです。いまは、「過去の成功体験」や「長年の経験」、「古いだけののれん」が役に立たななくなりました。今は、時代の流れを見て「動きながら考え抜く」事で、現状を打破することだと言われます。要するに「実践知」と「動態知」です。一橋大学の野中教授は実践知を「動きながらレベルを上げていくこと」が大事であり、日常の仕事の中で「共通善の積み重ねを重層化して全体を大きく変化させていく」事が「実践知」だと言っています。また「動態知」を「日々変化する現実を大きな時代の流れとして捉え、その場その場で最善の判断と行動をタイムリーに行う事」だとも言われております。困難な時代だからこそ「実践知」と「動態知」を実践したいものです。 今回の「船中八策」は、平成元年から平成8年までにお客様向けに発行した「経営ワンポイント」に、私の書いたものから数点を特集で掲載させて頂きます。 [千丈の堤も蝋蟻の穴をもって潰え、百尺の室も突隙の煙をもって灰になる] 韓非子より 世のあるものすべて、大は小よりおこるゆえ「難事はたやすい事から、千丈の堤もアリの一穴からつぶれ、百尺もある部屋も煙突の隙間の煙から灰になる」と説かれている。小さいことを放っておくと大事になるので注意せよと言うことである。 あるファミリーレストランチェーンの話しです。水道の蛇口がゆるんでいたために、一秒間に一滴の水が漏れると年間七千円のムダになる事を社員に数字で示した。店長をはじめ部下、パート社員にいたるまでムダ防止を徹底指導すると同時に、水道の使用方法をマニュアル化までしている。「そこまでしなくとも……」と、いろいろ社内的に批判はあったが、この会社の社長は批判をもろともせず決断実行し、年間三百万円の水道費のムダを防いだ。電気、冷暖房、コピーのムダ使いに気付かない会社ほど利益が漏れていることが多い。経営者は、「蝋蟻の一穴」に、こんな細かい事と見過ごさず目配り気配り、時には決断も必要である。 (平成四年九月) [世渡りは笠の如く、運よからぬ時はしぼめるがよし] 商人生業鑑 「時節を知りて、進むときは進み、退く時は退きを賢き人というなり。世渡りは傘の如くすべし。運よき時は開き、運よからぬ時はしぼめるがよし」 経済は、何時も順風満帆ではない。晴天もあれば悪天候もある。世の晴天を知り悪天候を知る。晴天の時には悪天候の来る事を心して進むべし。悪天候には休んで天気の回復を待つがよし。止まぬ雨は降らぬから。運よくない時に進むは愚かなる事。どんな企業にも成長期もあれば、成長の止まる時もある。永遠に続く成長はない。その曲がり角をどう切り抜けるかが企業の盛衰を決める。この事は誰でも知っている経営の常識である。この常識は心得ているが、いつも永遠の成長に向かうは、経営者の習性である。 「時節を知りて、進むときは進み、退く時はしぼめるがよし」 合理派で、地道で安定的な繁栄をもたらした、江戸商人の「傘」商法を現代に学びたいものです。 (平成四年) [備えを以て時を待ち、時を以て事を興す-以備待時、待時興事-] 管子より 「どんな事も、周到な準備を以て事にかからなければ、成功しえない。また、どんなに準備万端整えても、時の到来を見て事を決めなければ、これまた成功はおぼつかない」[備えを以て時を待ち、何事も事を興す」には、その事を興すための計画と、それにかかわる組織や人、道具、を備えもって時節到来(タイミング)を待たねばならない。何より、時の到来を待つ当人の心の準備が必要である事は言うまでもない。時を以て事を興す,世の流れを見、時節到来を待たずして事を始めると、これまた世の流れに乗れず成功はおぼつかない。事を興すには、時が早すぎてはいかん。好機到来と見たらただちに行動すべし。この格言は、「待つ」事の大切さを教えているでのあるが、その「待つ」は、ただ待つのではなく準備万端整えて待つことを教えているのである。景気が良くないと言われる今日であるが、事あせって時の到来を待たず始めれば失敗は免れない。今は、<備えを以て時を待つ>の心でありたいものである。 (平成五年三月) [不味因果] 「禅」のことば 松下幸之助氏の商売語録に、事業の成否についてこのような事が書いてありました。 「商売と言うものは、損をしたり、儲かったりしながら成功することはありえない。やればやるだけ成功するものでなければならない。上手くいかないのは運が悪いからでもなんでもない。経営の進め方が当を得ていないのである」 ようするに、事業が上手くいくか否かは経営のやり方が、時代なり環境なりに合っているかいないかであり、それを見極めるのが経営者の仕事である。同じ業種でも、上手くいく会社といかない会社の違いはその差であり、経営者の手腕の違いとなってあらわれる。現況の経営環境は厳しいが、自社の経営の進め方をもう一度掘り下げて洗い直し問題点を明らかにすれば道は開けるのではないでしょうか。経営の上手くいかない原因を、経済環境や社員の迫ヘに求めるか、経営者としての自分に求めるかによって、経営の成否が決まるのではないでしょうか。私も深く反省するとことです。 (平成五年七月) [大阪商人に学ぶ 「商に三法あり」] 江戸時代の大阪商人は、ものごとを行うにあたっては、堅実的で合理的に行うことを身に付けていたと云われます。それが今日まで大阪商人の心の中に伝統的に受け継がれてまいりました。その受け継がれた伝統のなかに「商いに三法あり」という言葉があります。 「商に三法あり」は、江戸時代の大阪商人に商人として求められる素養を述べているのであります。 その一法は、始末する事。よく「始末屋」とか「始末のできぬ者」「後始末をする」など云われますが、この始末をするという言葉は、そもそもものごとの始めと終わりの辻褄をあわせると云う意味をもっております。大阪商人はこの「始末」を収入と支出の計算が合う事、またムダを省き効率の良い商いする事ととらえられていたと云われます。「終わり良ければ全て良し」、経営における「始末をする」は、経営計画と一年の決算の辻褄が合う事と言えます。 その二法は、算用する事。何事もャ鴻oン勘定せよと云う事です。商人は儲けるために働くのであり損をしてはならない。勘定のできない者は商売をしてはならないとも言い切る大阪商人。一回一回の取引で確実に利益を得られる。一件一件のお客様から僅かでも儲けさせて頂く事が長く商売が続けられることであると言っています。この意味からも算用とは、短期的な見方ばかりでなく、長い目で勘定できることが大切であることを教えている。 その三法は商才、才覚のと云うことです。商売には機がある。その機を見る機敏な目、敏感に感じる感覚、それを取り込む行動力を商才、才覚と云われます。機のある時に商売をせよ、商才があるかないかが厳しい商いの中で大阪商人の生死を決めてきた。そのため、丁稚から叩きあげられる中で、商機を見る目、感覚を身体をもって覚えていった。日頃からの勤行をモットーとして心を戒めたのも、「商いに三法あり」と云う江戸時代の大阪商人この言葉に浮黷トいる。我々もこの言葉に学びたいものである。 (平成五年j [前車の覆るは後車の戒め −前車覆後車戒−] 「漢詩」 「漢代の賈誼は秦の始皇帝の滅亡をこの言葉を引用して文帝に述べたと云われている。賈誼は、漢代の前の秦を「前車」に例えて、秦が僅か二代で滅亡したのは秦の始皇帝による強権、悪政の無理が祟ったからであり、よって前車のひっくり返ったのを教訓にに政治にあたれば、民衆は安心し政治は安泰すると垂オた。文帝は秦の失敗に学び、民衆の声を聞き自ら倹約を旨とした政治にあたり、治績をあげた名君と称された。」 前車のひっくり返るを見たら、その二の舞を踏むなという歴史の教訓であります。私たちは、他人の失敗に、自分はそんなドジはしないとか、こうすれば良かったと批評評論はできますが、それらを自らの教訓や戒めにすることは意外にされていないものである。失敗は失敗した人たちに共通するものがある。その原因をよくみて、自らその原因に陥らないようにすることが大切である。「殷鑑遠からず夏后の世に在り」という言葉もあります。(詩経) 歴史は失敗の物語である。同じ失敗をしないためにも、先人の失敗に学ばなければならないと云う。成功の事例に学ぶことも大事であるが、先人の失敗体験に学ぶことがより有益である。昨今の経済環境の中で企業倒産の話はよく聞きます。他人の倒産を他人事せず自社の事業の教訓にしたいものである。 (平成六年二月) [創業の精神] 会社の創業期というものは、経営者も社員も一生懸命なものである。会社の将来に夢と期待に燃え、一方では不安と危機感を持ちながら目標を掲げて寝食を惜しまず働く。この時期、何事も勉強であると謙虚に受けとめる。お客様へのサービスも何とか継続の取引を頂くよう手厚いサービスをする。商品を作るにも一つ一つ丹念に、不良品を作らないように、お客様に喜んで頂けるようにと心を込めて作っている。商品を取り扱う手つきにも不慣れななかに一つ一つ大切に取り扱おうとする心がある。創業期は何事も未経験であり先が見えない。それが故に一所懸命になる。それがお客様をお店に、会社に引き寄せるのであると思う。それが時間と共に、取引先が増え又社員の数も増える。創業期には社員の教育も社長自ら実践をもって教育できた。しかし業容大きくなると社員まかせになる。社長の交際範囲も多くなり得意先巡りや勉強に時間が取れなくなる。社員は、何時の間にか手厚いサービスはマニュアルサービスになり 形ばかりのサービスになる。このような事が長く続いていますと、お客様は自然により良いサービス、より良い応対の所へと移ってゆき、お客様が減っていきます。お客様はいつも本物のサービス、自分を満足させてくれる所を選択してゆくのです。創業期には一生懸命の中にそれがあったのです。それが何時の間にが業容の拡大の中に埋没してしまってはいないでしょうか。物が溢れている時代である。手厚いサービス、お客様の心を和らげる応対、きめ細かい顧客管理が他社と差別化のポイントであり、お客様を自店に向かわせる事になるのです。まだ不況から脱し切れない今日、時代は変化の岐路にあります。今こそ、何事も積極的に取り組み、何時も希望と危機感との間で頑張り抜いた創業の精神に立ち返り、新たな時代への会社作りをしたいものである。 (平成六年九月) [事翌すれば則ち立ち、翌せざれば則ち廃す。] 「中庸」 事にあたって、準備の大切な事を説かれております。事にあたって成功するか失敗するかの分岐点は、種々の要件はあると思いますが、一番大切なのは助ェな準備にあると言う事です。準備には、計画による準備、物質的な準備、精神的な準備とありますが、どれをとっても皆重要な事であり、準備の如何によって、事の成功失敗が決まると言っても過言ではないのです。日本では昔から「段取り七割」と言われ、仕事が上手くいくかどうかは準備段階で七割が決まると言われています。その準備について『中庸』は次の事を具体的に言っております。 一、発言をする前に、よく考えてから発言すると、つまずく事はない。 二、事を始める時は、事前に助ェな計画を立ててかかれば、苦しむ事はない。 三、行動を起こす前に,目標をしっかり定めておけば、失敗する事はない。 四、歩き出す前に、日程をしっかり定めておけば、途中でへばる事はない。 先般、あるセミナーで、良く仕事ができる人と、できない人の違いは段取りの違いにあるといわれております。段取りとは計画の事であり、準備の事であります。事前準備は、事の進行を事前に卵ェできますし、実施にあたって無駄をなくします。危機に遭遇した場合の回避の方法も考えておく事がきるのです。また精神的にも助ェな心の備えもできるのですから、失敗は少なくなるのは当然といえます。 経営者は、事を始めるときは失敗は考えたくないものです。成功する事に熱い情熱を注ぐあまり、粗略な計画で細かい事は意気込みでカバーして助ェな計画を立てないで前進しがちです。これは経営者の習性でしょうか。今はこのような事はないのですが、数年前のバブル時代はそれでも一時の成功を治めた人はおりました。しかし今は、「夢破れて山河あり」とでも云いましょうか。 『彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず』の孫子の名言もあります。事前準備の大切な事は誰でも知っているのですが、いざ実行となると意外と難しいものです。心に銘じたいものです。 |
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