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第41号テーマ:ジョン・P・コッターの「幸之助論」を読んで
著者 ジョン・P.・コッター 本のタイトル 「幸之助論」 出版社 ダイヤモンド社
ハーバード大学のジョン・P・コッター博士の「幸之助論」は、松下幸之助の成功者を、幼少時期の家庭の悲劇から丁稚奉公という「長期間の住み込みによる衣食住以外は無給に近い労働」からどのようにして日本最大の企業に成長させたかを、アメリカの学者の視点から研究されたものである。コッター博士は、経営の神様といわれる松下幸之助の事業成功を次の5つの視点から論じている。 まずコッターは、松下幸之助の企業家人生を父親の事業の失敗から9歳で丁稚奉公に出て、電気設備工など辛い見習職工を経験し、電灯ャPットを考案して1917年22歳で起業するまでを一段と捉えている。この期間の屈辱的で辛い苦しい経験が松下幸之助の偉業の源泉である述べている。次に下町の長屋工場で起業してから事業が成長路線に行くまでの困難、その間に起きた子供達の死、プラグ製造で成功し大衆向けのラジオの生産へ成長した過程を述べ、松下電器産業の基礎がこの時期に確立されたと事を第二段と捉えている。第三段は松下電器産業の理念になる「幸福につながる水道哲学」が確立された時期である。そして松下独自の経営組織である事業部性が創設され、これによって大企業としての経営基盤が確立されるが、しかし敗戦によって松下電器産業は多く経営資源を失うこととなる。しかし戦後アメリカの占領政策の一つであった財閥解体というどん底からいち早く立ち上がり、労使協調の締結、週休二日制や長期5ヵ年計画の策定等、戦後の日本企業経営者にはなかった異色のリーダシップを発揮したと述べている。そしてコッター博士は、第五段を松下幸之助が一企業人から日本人に心の豊かさをもたらしたいとの理想主義の実現へと提言と活動をする理想のリーダシップと賞賛している。また良い国は良い政治的指導者が必要であるとの理念から「松下政経塾」を創設し、今日の日本の政界に多くの政治のリーダを送り出していると結んでいる。 松下幸之助の人生は、学び続ける事であったとおもう。小学校4年しか出ていない松下幸之助は人生のいろいろな局面で挫けず難局を乗り越え、松下電器産業を世界企業したのは、誠実な経営姿勢と理念、絶えず勉強し続けたことにあったのではないだろうか。その学びは常に理想と目標を掲げそれを実現するために学び続ける姿勢が、企業家としてアイデアや強いリーダシップを発揮し、どのような困難も克服しえたのであると思う。戦後復興という経済成長の要因があったにせよ卓越した経営感覚と独創性、強いリーダシップが彼には天性として備わっていたかのようであるが決してそうではない。コッター博士が「苦難の時期は大きな理想と絶えざる成長を育み、偉大な業績達成に結びつく事がある」といわれるように、幸之助は幼少期少年期の辛苦の時期に後の理念、思想、哲学が形成され学び続ける姿勢が育まれたのであると思うのである。
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