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第47号テーマ:「経営者の行動指針」
この巻頭言は平成4年から7年にかけてお客様向けに書いた「経営ワンポイントセミナー」から抜粋したものです。中国の古典や江戸時代の商道について書かれた書物から、心に響いた言葉を選び私なりの浅薄な考えを書かせて頂いたものです。よき書や言葉というものは千年たっても人の心を打つものですし、思想・行動の規範となるものだと思います。リーダーとして、また一人の人間としての心高ヲやあるべき姿勢、心のあり様を知恵として教えてくれるものだと思います。 ■「奇に驚き喜ぶは遠大の識なく、苦節独行は恒久の操にあらず」 采根譚より 「奇に驚き喜ぶは遠大の識なく」とは、奇抜なアイディアや派手な企画、目先の儲け話に目が行き本来の目的を忘れ、手段だけに走っては何事も成功しない。 何事も本質と道理がある。目先の新しさに振り回され、ものごとの本質を見失い道理を違えてはならない。 新たな事業に取り組むにあたっては、その事業の目的(戦略)と目的達成の ための手(戦術)を取り違えてはならない。 「苦節独行は恒久の操にあらず」とは、自分が頑張れば会社が良くなると、朝から晩まで額汗して頑張っている社長がいる。部下の指導、率先垂範という美名のもとに、部下の仕事までやってしまう経営幹部がいる。このような事をしていると、些細なことまで指示したり口出ししてしまう。時間がないと東方西走しなければならない。苦節独行では、会社を長期的な流れの中で見ていくことはできない。 人を生かし、部下に仕事をまかせそれをマネジメントする、それが経営者、経営幹部の仕事である。 ■「鵜の真似をする烏ということあり」 商人生業鑑より 「どんな事も、周到な準備を以て事にかからなければ、成功しえない。また、 どんなに準備万端整えても、時の到来を見て事を決めなければ、これまた成功はおぼつかない」 =@備えを以て時を待ち 何事も、事を興すにはその事を興すための計画と、それにかかわる組織や人、道具、を備えもって時節到来(タイミング)を待たねばならない。何より、時の到来を待つ当人の心の準備が必要である事は言うまでもない。 =@時を以て事を興す 世の流れを見、時節到来を待たずして事を始めると、これまた世の流れに乗れず成功はおぼつかない。事を興すには、時が早すぎてはいかん。好機到来と見たらただちに行動すべし。この格言は、「待つ」事の大切さを教えているでのあるが、その「待つ」は、ただ待つのではなく準備万端整えて待つことを教えているのである。景気が良くないと言われる今日であるが、事あせって時の到来を待たず始めれば失敗は免れない。今は、<備えを以て時を待つ>の心高ヲでありたいものである。 (平成五年三月) ■「疑行は名なく、疑事は衡効なし」 史記より 「疑行」とは、自分が行動している事に自信と確信がもてなく、あやふやな行動をする事をいう。「疑事」とは、事を起こすにあたっては失敗するのではないかと不安な気持ちで取り組む事を云います。 事を起こすにあたっては自信と確信を持てるまで調査研究し、緻密な計画と助ェな準備を以て行い、一度決断したなら一心不乱、果敢に行動する事であると説かれています。 「疑行」「疑事」で事を起こしては名誉も成功も得られないと云う事である。秦の商鞅は事を行うとき、過去にとらわれすぎたり周囲の意見に振り回されて、計画や準備、取り組み方を曖昧にしてかかると失敗すると教えている。 いま我々を取り巻く環境は、政治も経済も不安定で厳しく、先を卵ェする事は更に難しい。自分達の環境は厳しいと愚痴を言ったり論評できるが、何かを始めるにあたっての意思決定には躊躇してしまいがちだ。 一方、新しいビジネスは雨の後の竹の子のように次から次と世に出てき、 中小企業の経済圏も日本から世界へと広がりを見せている。新事業、新ビジネス、海外進出は中小企業といえども取り組まなければならない重要な経営課題である。既に相当以前から取り組まれている企業も多くある。しかし、これらの企業が皆がみな成功しているわけではなく、いやむしろ失敗している方が多いと聞くこともある。成功、失敗にはそれぞれの要因と原因があるが、一番大きい違いは「自信と確信」で行っているか、「疑行と疑事」で行っているかではないだろうか。何時の時代でも事を起こすには、緻密な計画と助ェな準備を行い 確信性を高め自信を以て取り組むことだ。「疑行・疑事」から事は成功しない。「疑諜は成功する勿れ」とも云われる。些細やかでも不安があったら先ず解消しそれから果敢に実行する。そうありたいと心がけたいものである。 (平成八年四月藷?j ■「流水の清濁はその源にあり」 「流水が澄んでいるか濁っているかは、源の良し悪しにかかっている。君子と 人民の関係を河にたとえて言えば、君子は源であり人民は流水のようなものだ。臣下は君子の行いを見ながらものごとを行うものである。君子が誤った行動をしておきながら、臣下に真っ当な事を期待するのは、濁の源をそのままにして、流水の澄むを待つようなもの。どだい無理なことである。」唐の太宗の言葉です。 流水の源とは、組織のトップの言葉である。経営組織は社長の方針・行動・ 言動によって社員の行いや言動は自然に左右されるものです。社長の経営に対する情熱や公正なる姿勢は、社員の信頼を得るもであり活力ある組織となるのです。 ただ「水清くて魚住まず」とも云います。また「清濁をあわせ飲む」とも云います。何時も聖人君子のような社長では社員は疲れますし、危機に直面したとき対処ができない事も事実である。濁を知りながらそれを使わず、日頃から清によって事にあたるのが大切であります。 会社の盛衰は日頃からの社長の姿のあるといっても過言でないと思います。 (平成六年六月) ■「蘆らずんば胡ぞ獲ん、為さずんば胡ぞならん」 [慮らずんば胡ぞ獲ん。] いろいろな書物を読んでも空読みをしたり、どんなに良い役に立つ話を聞いてもその話を上の空で聞いては何の役にも身につかない。本当に自分のものとして役立たせる為には、その内容の一つ一つを自分の脳味噌で考え、自分の考えに置き換えて見る事が大切であるという意味の故事です。私たちの周りには多くの情報があります。またいろいろな人の話を聞く機会も多くあります。ややもするとその情報に惑わされ判断に困ったり、ハウツーの流されたりしやすいものです。 多くの情報や、自分で得た知識は一旦自分の思考回路を通して考えるとその情報は自分のものになるものです。 [為さずんば胡ぞならん。] 有言不実行では、折角の情報も知識も宝の持ち腐れになって何の役にも立たないということを教えてくれております。「考えることは誰でもできる。でも実行は難しい」と言われるように、実行はなかなか難しいものである。それ故に何事も実行する事は価値のあるものです。経営者の勉強会やセミナーは参加する事に意義があるのではなく、そこで得たものを自らの経営で実践してこそ意義のあるものです。 今日の様に情報過多の時代、その情報の選択は自ら行い実行し、その成果を直実に出すことが大切であると思います。 (平成七年二月) ■「世に伯楽あり、然る後に千里の馬あり」 文章軌範より 「伯楽」とは、中国では馬の資質を鑑定する名人の事です。日本で言えば、馬の売買人「馬喰」の名人の事を言います。「千里の馬」は中国の古典に登場する「一日千里を走駿馬」で優れた馬の事を言います。 昔、中国である男が自分の持っている駿馬を売ろうとして毎日毎日、馬市に行くが、いっこうに馬は売れません。男はこの馬は駿馬だから高く売りたいと思っていますが、売れないどころか馬に目止めてくれる人もおりません。 そこで男は伯楽にいって「どうか馬市に行って私の馬の周りを廻り、去る時は後ろを振り返って見てください。謝礼はたっぷりとさせて頂きます。」と頼んだ。 伯楽はさっそく馬市に行って、その馬の周りを廻り、去り際にもう一度振り返ってその馬を見た。すると伯楽が目を止めるような優れた馬であると言う事で、馬はあっという間に数諸{の高価で売れたという。 この馬も、ただの男が持っていたのでは、ただの駄馬にすぎない。「千里の馬」の伯楽がいたからこそ、その資質と価値が見出されたのです。 企業は人なりと言います。優秀な社員によって会社は伸びます。しかし、社員の迫ヘを見出し伸ばすのは社長の迫ヘです。どんなに優秀な社員がいてもその迫ヘを見出す力が社長に無かったら、その社員はただの駄馬にすぎないのです。経営者はややもすると自分の力に自信を持ち過ぎて、社員の迫ヘを見出してやれない事が多いようです。特に創業経営者はこの傾向が強く、優秀な社員が居着かない事が多いようです。社員からしてみれば、自分が迫ヘを発揮できるのは、自分の迫ヘを見出してくれる経営者や上司に巡り合った時なのです。このような意味でも社長は社員の資質を見出し活かす「伯楽」なのです。 貴社に埋もれた「千里の馬」がいるかもしれません。それを見つけ活かすのが社長の仕事とも言えます。「世に伯楽あり」、まず経営者が社員の資質を見出す事のできる自らの資質を磨く事である。そうすれば「千里の馬」、優秀な社員も育つ事を教えてくれております。 ■「大道は多岐を以て羊を亡う」 --大道以多岐亡羊-- 長い人生には多くの分かれ道があり、ややもすれば脇道にはいりこんでしまい本道を忘れ大切な人生を無駄に過ごしたり棒に振ることがある。若い時には、人生に夢があり希望がある。この夢や希望をずっと持ち続けチャレンジすればいいのですが、年の経過とともに当初の夢も希望も薄れ、年老いて人生を振り返ったら、何もせずただ日々に追われていたと云う人も多い。このような事を「多岐亡羊」という。だから人生には目標や計画があったほうが良いのです。 しっかりした目標こそが「大道」である。大道があっても多岐(魅惑)に流される事があるのですから、目標がなかったら目前の枝葉に執着する人生となる。列子はこれを言いたかったと言われております。 経営というエンドレスの仕事は経営者にとって、自己との戦いでもあります。いつも会社の維持、発展にチャレンジし続けるのが経営者である。経営には三年後五年後の計画が必要であると言われます。三年後、五年後の自社の姿を描きそれに向かって事業計画を立て、着実に進むことこそ経営の大道だと思います。事業における目標、計画は経営者の人生の目標であり、大海航路の羅針盤であります。この羅針盤を何度も確認しながら進む事が「大道を見失わない」最善の方法だと思います。よく、目標も計画も大切な事はわかっている。立派な事業計画を立てても、それを達成する事がなかなか難しいし、なかなかできないという経営者の方がいますが、難しいから価値があるのであり、だからやった者だけが成功するのではないでしょうか。 「小利を見れば即ち大事にならず。」とも言います。深秋の夜に人生の大事を考えさせられる私です。 (平成八年曙氏j 及川 秀悟 |
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