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第51号テーマ:こんな時代だから
「創業の元一日」 社長という仕事は、自分の夢や思いを実現するということでは、やり甲斐、生きがいのあるものである。もともと創業をしようとする人は、夢が大きく情熱的でチャレンジ精神が旺盛で行動的だ。特に創業時には夢と希望と情熱だけが唯一の資産のようなものであって、カネなし、信用なし、顧客なし、人もいない、何から何まで自分でやらねばならないのだから、頼りは夢を見失わず自分の体力と精神力を信ずるのみである。体力と精神力だけがエネルギーのもとであり行動力の源泉なのである。この頃というのは事業に賭ける夢はあっても計画や成長戦略などというものはない。ただただ今日を喰うため、明日に繋げることでせいいっぱいであって、ゆえに徹夜仕事も平気だし、寝食をも忘れてしている事が多い。一人二人と社員が増えても創業期というのは社長と社員の夢は共有しているもので、社員も社長と一緒に夢と希望に向かって、一件一件の顧客に親切に真心を込めてやっているものである。創業の精神とか、創業の原点とかいうが、今は立派な会社も、今苦境に喘でいる会社も、創業の精神や創業の原点はあったのだから、あの苦境の中で夢だけが光明として情熱を燃やしたあの頃の帰り、社長とはを考えてみるのも良いのではないかと思うのである。 社長というのは、企業の全責任を背負いながら、企業の内部環境や外部環境の変化からおきるいろいろな問題や課題、危機や危険に対処しながら会社を維持・成長発展させなければならない指揮官であり大将である。365日24時間(夢の中でも)何時も会社の事、顧客の事、社員の事、資金繰りや業績の事など頭から離れる事はないものだ。 会社というものは毎日何らかの問題は起きるし、その問題は大きな問題もあれば小さな問題である。大きな問題だろうが小さい問題であろうが、中小企業は全て社長のところまで来て判断を求められるものである。その問題や課題一つ一つに対処していくのが中小企業の社長という事になる。他の役員や社員と責任分担がないのは当たり前である。 清水龍榮先生の「経営学」の本に、社長の役割を遂行するには、「洞察力」「野心・執念」「決断力」を持たねばならないといっている。社長がリーダとして、また組織運営者として、経営者として持たなければならないのがこの3つであると書いてあったが、他の経営書にない視点からの社長の役割であったので考えてみた。 「洞察力」 社長は、ものごとの本質を見抜く力、「カンと分析力・洞察力」を持たなければならないとある。また、ものの本質を見るとき、「それを良いか悪いか、損か得かの価値判断でみてはいけない。自然か不自然かで考える必要がある」、いわれている。ようするに良いか悪いか、損か得かで考えると、自分に都合が良い希望的観測が入ってしまい、誤った見通しを立ててしまうからであり、自然か不自然か・正しいか正しくないかで考える事で、希望的観測や我田引水の思惑が入る余地がなくなり、ものごとの本質が見えるという事である。 大体社長ほど希望的観測が好きであるし、我田引水で考える癖があるものである。故にこの「本質を見抜く力」を養いたいものであると思う。 カンは、「ある情報を入手したとき、論理的思考で経ることなく、そのものの全体を瞬時に把握する能力である。」とある。カンは経営者の過去の経験と実績、苦労や困難を乗り切った自信とによって磨かれるのであり、知識やノウハウというより、身体に沁みこんだチャンスを掴み危険を察知する能力とでもいうものだろう。このカンが大きな飛躍をもたらしたり危険から間一髪で会社を救ったりするものである。松下幸之助氏はその著書で「経営は運が9割で、自分の才能が一割である。」と言っているが、ここでの「運」とはその社長に与えられた経営者としての「カン」のようなものであって、これは学問をしたり他人のテクニックを真似したりで得られるものではない。社長のこのカン(経験と実績・苦難や困難を乗り越えた自身に磨かれた感性)を、社員に伝授することで、知識やノウハウではない、企業文化としての「社長のカン」が社内に生きるのである。 経営者の洞察力は次の3つのプロセスを経て発揮されるという。 1)つねに日常の家庭生活・企業経営を深く考えて人間のヒダの動をしる。(カ ン) 2)客観的データを勘案して社会・経済の動きを論理的・体系的に把握する。 (分析力) 3)心のヒダの動きと社会。経済全体の動きを深く考えながら、モノゴトの変化を勘案して、問題点そのおおよその解決策を頭になかに浮かび上がらせてくる。 「野心・執念」 野心とは、「身分不相応な大きな望みである。」とあるが、経営はこの野望をもって創業しエネルギーの元にして果敢に行動するのであるが、これが成功への欲望・独創性、競争心、辛抱強さの元となっている。「経営者に野心がなかったらバイタリティは出てこないし、野心は企業競争には不可欠であり、企業の将来構想立てるとき、今の自社の製品の強み・弱みを分析して延長線上で立てる企業よりも、業界一位になるんだという「野心」で立てる方が常に従業員が高いモラールが高く、高い業績が上がる。」と言われているが、我々日本人は、「野心」という言葉にあまり良い印象を持たないが、「身分不相応な大きな目標や大きな志」と置き換えてみると、創業当時に持っていた「身分不相応な大きな目標や志」を忘れてしやしないだろうか。 「執念」について、「執念はこの事業を成し遂げようとする強い信念、決して諦めない、自分の行いを信ずる事」であるといっている。「信ずればなり憂えれば崩れる」といわれるし、「信は力なり」とも言われる。自分で立ち上げて事業がなかなか上手くいかない時など、上手くいかないことに悔やみ卑下し自己嫌悪に陥ったりするし、また苦しいときや困難に直面したとき、社長を辞めたら楽になると思ってみたりするものである。松下幸之助氏は「事業は上手くいくまでやり続けなさい。」といっているが、社長の「やり遂げる力」が企業力であり、企業文化になるのであり、社長に執念が無くなるとき、企業は終焉に向かうのであると思う。だがから決して諦めてはいけない。「打つ手は無限」という言葉があるが、執念の中から「無限の打つ手」が生まれてくるのである。 「決断力」 清水龍榮先生は決断力について、「不確実な状況の中で思いきって意思決定する能力であ る」といっているが、いつも決断も求められている社長にとって当たり前の事であるが、この決断が一番難しい。決断には重要な決断もあれば軽い決断もあるし、前向きの決断もあれば後退の決断もある。不確実な状況の中での決断は以外と前向きな時の決断が多いのである。後退の決断はマイナスが確実性であるから、いかにマイナスを最小限にするかを考えればよい。多くは後退の決断は難しいと言われるが、本当は前向きの決断の方が難しいのである。前向きの決断は期待(不確実な状況)をもって決断するものであり、大きなリスクを伴うものであるからである。しかし多くの社長の決断は後退の決断より前向きの決断の方がしやすいのである。前向きの決断は期待と夢があるからであり、後退の決断のように苦渋や屈辱がないからである。経営の意思決定というのは、常に不確実な状況のもとでの意思決定である。ある経済学者が意思決定理論のなかで、意思決定は数学の理論では、1)将来おこりうる事象一つが確実にわかる場合。2)確定できないが起こりうる事象がいくつかわかり、しかもその生起確率がわかる場合。3)そのいくつかおこりうる事象がわかるが、その生起確率がまったくわからない場合、の3つに分けているが、これはあくまで理論の世界のゲームであって、企業の経営の意思決定はそう単純ではない。将来起こりうる事象自体どんなものであるか、またいくつかある予測できないものだ。故に経営の決断は、社長の「苦悩」と「カン」が最も的確な決断を下す事になるのではないかと思う。 経営は生き物であるといわれる。一つの命を持った生命体のように、創業によって生をうけ社長である親によって育てられる。その成長過程で健康にすくすく伸びる時もあれば、風邪を引いたり、時に重病の病に冒される時もある。しかし、そのすくすくの成長も、重病の病も全て親である社長の責任の中で起きるのである。故に社長といわれる人は、常に「創業の元一日」を忘れないようにしなければならないのであると思う。 |
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